【雑談ではございますが…】 鵜澤正則の超エッセイ
  48 同じ字で来るなっての!

年も明けて新年、景気が悪いとか何とか言ってもパチンコ屋さんだけは大繁盛だったそうです。逆に正月に流行っていないような所は先行きが厳しいでしょうが…。
 
さて、昨年の暮れから秋田の男鹿半島でテレビの撮影を計画していたのですが、今期は穏やかな天気が持たないことおびただしいようで、なんと3回もボツってしまって、もう一回ポツったら他の地方に撮影場所を替えてしまおうかという状態。なかなか冬の東北は撮影には厳しいものがあります。何しろ3回のポツりは日数的に10日のロスです。そんなに悠長に日にちは空けられないのです。かといって意地になって撮れるほどの余裕もないのが今のテレビの現状なのです。
 
その上この気温。最初計画していた頃は最低気温も0度を上回っていたのですが、今ではその頃の最低気温よりも最高気温が低くなってしまい「マイナス」ぱっかり。我が家の天気予報に出てきてはお正月からコタツの中の僕をビビらせています。
果たしてどうなりますことやら。

■印刷の年賀状って何だろう?■

この年になるとお正月といっても仲間を呼び出してお酒を飲むくらいが関の山で、他にはもう何もすることがないし、世の中あまり景気のいい詰もありません。しかし、なぜか気持ちの中にウキウキしたものがあるのはやはり新しい年への期待かもしれません。
 
今年も元日の朝には郵便屋さん(言い方が古い?)が年賀状を持って来てくれたのですが、今年になって年賀状に今までこ比べて思い切り変わったことがあったのです。それは年賀状の宛名が殆ど皆パソコンで印刷されたものばかり。ほぼ95%以上が印刷かまたは貼り付けの宛名でした。
 
みな奇麗な楷書体や明朝体で印刷されていて、以前みたいに貼り付けのものはごくわすか、手書きのものは殆ど無いような状態。その中でたまたま目立ったのはエド山口さんから来た自筆の年賀状で、これを見た時は感激で涙モノでした。
 
印刷の年賀状を見ていて最初のうちは奇麗だなと思っていたのですが、そのうち何かむかついてくるこいうか、むなしいこいうか仕事の手紙をもらっているような感じ。まるでコンビニに売っているおにぎりのような感じがしてさました。差出人が誰かさっぱり分からないのです。
 
これって没個性ですよね。皆同じ字でか書かれているものが来るのです。以前なら「あ、これはだれそれさんだな」とか「お、今年も元気かな?」とか書いてある宛名の字を見ただけでおおよそ分かったのですが、今年の年賀状はさっばり分からなくなってしまったのです。そして裏の本文も印刷のものばかりです。これなら郵便など使わずにそのままメールで送ってくれたほうがまだイケてるかなという感じです。こうなったのは日本人の「奇麗文字コンプレックス」かもしれません。
 
実は僕も字は思い切り下手なのです。小学校の頃から親に「読み、書き、そろばんは商人の基本だ。しっかり覚えろ!」などといわれ続けて一生懸命に僕に習わせようこしたのですが、肝心の僕はすぐに飽きて遊びや釣りに行ってしまったりで、全く習おうとはしなかったのです。
 
おかげでそろばんは4級まででやめてしまったし、習字もサボリっぱなしだったので今でも自分で見てもひどい字だなとは思います。でも何とか計算は計算機でできるし、字もなんとか読めて意味だけは通じるこ思うし、学生時代もそのことで試験などでも先生に汚い字とは言われつつも怒られたことはありませんでした。
 
しかし小うるさい親は違います。
答案の回答よりも字を批判してきたのです。その汚さを怒られた時に僕の親に返した返答は「いいもん、そのうち機械が字を書いてくれるもん」とか「タイジョウプ、そのうち機械が計算してくれるよ!」だったのです。それは今でも母親は覚えているそうです。なんて子供だったんだろう。
没個性じゃイカンよ!
で、そのうちに力シオ≠ゥら卓上計算機が出た時には「ほら俺の思っていた通りの世の中になった」と思ったし、ワープロが出た時も同じように僕の時代が来たとほくそ笑んだものでした。
 
しかし今年の年賀状を見た時にやはりこれは何か違う″という感じがしました。個性が全く消えてしまっているのです。字というのは上手い下手ではなくその人の顔と同じ個性だったのです。下手でも上手くとも良いのです。その持っている温かみが手紙には必要だったのです。
 
本などの活字文化は多くの人に見せるものだし、癖のある字ではなかなか読めないので、読みやすくするためにも明朝体なとの一般的な印刷用の字を使ったほうが良いのですが、手紙などのパーソナルなものはまた違うと思います。下手でも個性、その人なりの味が出ていたら良いのです。何かこのような印刷の年賀状を見ていると背筋が寒くなる思いを感じました。
 
「こんなんなら出してくれるなよ」と思ったのは多分こんなことを書いている僕だけではないこ思います。
本来なら裏表全部自筆で書いたう良いのでしょうが、忙しい日々の中ではそれもなかなかままなりません。それならせめて宛名だけでも、または裏だけでも、それもできないほど忙しいのなら何か一言…。これが手紙の持っている意味、暖かさだと思います。今の年賀状にはこれが全く欠落してしまっているのです。字は顔がタブって見えるものだったのです。
 
何回も言いますが僕は字が下手です。この原稿を書いているのも実はPCです。でもこれは仕事のものだし、自筆で本に載るわけでもないし、だいいち僕の字では皆が読めなくなってしまうと思うのです。
 
釣りも同じです。背中から見て「あそこで釣っているのはだれそれだな」とか「あ、このスタイルは誰だな」と個性で分かって面白いものです。
 
でも来年もせめて宛名くらいは自筆で書こう。裏の一言くらいは書き添えよう″と思ったし、こんなことなら計算はともかく字くらいはもう少しまともに習っていたら良かったかなと反省した正月でした。