【あなたがいたから、僕がいた。】
連載1「伊豆にハマった綱木さん」
        textエド山口

元・ブルー子めっつの三原綱木さんが磯釣りマニアだということは、わりに有名で知っている人も多いでしょう。その綱木さんが初めて南伊豆の沖磯で竿を出したのは、なにを隠そうエドの案内でした。そのときの釣果がスゴかったものだから、一発で伊豆の釣りにハマっちゃった。今回はその顛末を−−−

若い人は知らないかもしれませんが、昭和42年(1967年)のレコード大賞は「ブルー・シャトウ」という曲です。
 
受賞歌手は「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」という5人組のバンド。作詞は「橋本淳」、作曲はこのバンドでサックス&フルート&ボーカルを担当している「井上忠夫(のちの大輔)」でした。
 
元もとは「鹿内タカシ(のちの鹿内孝、現在は俳優)」という歌手のバックバンドとして57年に結成されたグループなのですが、1965年ベンチャーズの来日とともに国内にもエレキブームが巻き起こり、はたまたビートルズなどの影響もあって、ブルーコメッツもエレキ&ボーカルバンドとしての変身を余儀なくされます。

鹿内氏の後釜には「尾藤イサオ」が入り、サブボーカリストとして横にいたのが「望月浩」と「布施明」です。この時点で、ある若者ギタリストをスカウトすることになりますが、その人が今回の主人公「三原綱木さん」です。
 
十代後半だった三原さんは、「ファイヤーボール」というバンドのリードギターを担当していましたが、ブルコメからの強烈な誘いで参入したという経緯があります。ドラムにリーダーのジャッキー吉川、サックス&フルート&ボーカルに井上忠夫、ギター&ボーカルに三原綱木、オルガンに小田哲義、ベースには高橋健二。
 
新編成となったこの5人組は、この後訪れるグループサウンズ全盛時代に大活躍することになります。
 
1971年、グループサウンズブームの終焉とともに、26枚のシングル盤と17枚のLP盤を残してブルーコメッツは解散することとなります。その後の三原さんは「郷ひろみ」の専属ギタリストを経たのち、「ニューブリード」というフルオーケストラバンドの指揮者として現在に至っているわけですが、NHKの歌謡番組で指揮棒を振っている三原さんの姿を見た人は多いと思います。
 
その三原さんが磯釣りにハマったのは20年弱前。当初の5年間は房総館山をベースに磯のクロダイ狙いで釣行を重ね、館山にアパートを借りていたくらいですからマジにハマっていたようです。
 
ある時、三原さんとエドの2人で真夏のクロダイをスイカで狙うというグラビア企画が持ち上がり、館山の通称「ドカン下」において仲よく竿を出す機会に恵まれました。芸能の仕事では何度か一緒になった2人ですが、並んで竿を出すのは初めてのこと。

釣果のほうはエドが30何センチかのクロダイを1尾取っただけでしたが、芸能界では数少ない磯釣りマニアという共通項から意気投合!「エドちゃんさあ、電話でも話したけど、今度は伊豆に連れてってよ」「いいすよ、網木さん、どうせならテレビ入れちゃいましょうか」 

当時、インストラクター契約をかわしていたR社には「ベストフィッシング」という15分釣り番組があったため、そこへブッキングをかけ、10月後半、南伊豆は初めてという三原さんを連れて行ったのは、中木地区の沖磯「沖牛根」。

「エドちゃんさあ、千葉の仕掛けで大丈夫かなあ?」「どれどれ、ウキは3Bですか……OKOK、全然大丈夫です」「千葉と伊豆で釣り方の遠いは?」「ないですよ、ただ潮の効きがいいのと、あとは、千葉よりも全体的に深いってことですかね」「タナはどれくらいから始めたらいいのかなあ?」「まずは2ヒロからやりましょう。

この時期、イナダが大量接岸しているのと、あとはソウダガツオにトビウオ、少し深いところでイサキですから、まずはイナダあたりからいっちゃいましょう」 

よ〜いドン!そして、入れ食い状態に突入!釣果を先に記しておくと、イナダが35リッタークーラー2杯分、イサキとソウダガツオが35リッターに半分ずつ、トビウオが35リッタークーラー1杯分。
 
2人で1個ずつしか持っていっていませんから、途中で船長に備品のクーラーを2個追加してもらっての釣果でした。

「スッゴイねえ!伊豆ってスゴイ!」連発する三原さんに、「綱木さん、房総と違って伊豆の沖磯は深いじゃないですか、浅場の房総なら何尾かで終わっちゃう魚が、深い分だけその群れの規模が大きい、つまり、回遊魚に関しては1尾釣れたらあとが続くってことです」 

テレビスタッフは、「もう十分に画は撮れましたから、先に帰りま〜す」と、昼に撤収。

「綱木さん、オレ達どうします?」「もうできないの?」「いや、中木は3時までやれますよ」「だったら、エドちゃんやろうよ」 

房総ではまず体験できない回遊魚の入れ食いに、すっかり参ってしまった三原さん。前記した釣果は、2人仲よく午後3時までやった結果です。
 
これがキッカケとなり、足繁く南伊豆に通うようになった三原さんは、館山に借りていたアパートを解約し、今度は伊豆の河津に一軒家を借りちゃった!ていうんですから、かなり本気です。
 
エドとしても毎回毎回三原さんの面倒を見られるわけでもなく、かといって三原さんも1人では寂しかろうと、思いついたのは「サバル」。

「そうだ、丹羽のター坊に頼もう」エドの釣り弟子の「あいざき進也」がサバルチームにやっかいになっていることもあって、三原さんもこのチームに混ざれば釣り仲間にも恵まれるであろうとの判断から、早速ター坊に話を持っていくと、「いいよ」と、二つ返事でOK。
 
二人とも子供のころ、渡辺プロダクションの「スクールメイツに在籍していたことも親近感を深めたようです。それからの三原さんは、通う通う!毎週のように南伊豆に顔を出していましたが、ある時、持病だった腰の痛みが悪化したため、一時釣りを中断。
 
今年に入り、テレビ東京「男達の風景」という良質30分番組2本にエドと出演し、竿を振ったことがキッカケでカムバック。腰のほうは少しずつよくなっているとのことで、「エドちゃんさあ、また行こうよ」 電話連絡が頻繁となっている今日このごろです。