【釣り人御用達
エド山口フィッシング広辞宴】
第28項 みぞ(溝)
説明の必要もない言葉でしょう。周囲の地形よりも一段深くなっていて、その深くなっている場所が横に長く延びた様を「溝」と呼びます。
釣り人側、つまり釣り座から見た場合、この溝には2通りの形があります。
●釣り座に対して、横方向、すなわち平行に存在する溝。
●釣り座に対して、縦方向、あるいは斜めに存在する溝。
また、地形形状釣に見れば、
●周囲の海底よりも一段と深くなっているタイプの溝(伊豆など水深の深い場所)。
●海面よりも上に位置する磯と磯との問を走るタイプの溝(房総など水深の浅い場所)。
と、さらに2つのタイプに分類されるはずです。
溝の斜面は、魚たちにとって格好のエサ場であり、また隠れ家でもあり、通り道でもあるわけですから、この溝の存在を知ることこそが、釣り場での釣果を左右する結果となります。
1975年当時、僕は房総のクロダイ、とくに夜釣りにハマっていました。
主に通った磯場は「洲崎のドカン下」「高磯」「入道」「小湊の大弁天・小弁天」「水産試験場下」などなど、思い出すだけでもいくつか挙げることができますが、これらの釣り場は「溝」を抜きにして語ることのできない場所ばかりです。
とくに頻繁に竿を出した「洲崎のドカン下」「小湊の大弁・小弁」においては、溝攻略こそが釣りのすべてであり、溝の走り具合を知らなければ釣果には結びつかないポイントでした。
「洲崎のドカン下」という名は、僕が通っていたころには存在していません。80年代後半に、「海彦」(廃刊)という釣り雑誌のグラビア取材のため、三原綱木さんと僕とでスイカのパクン釣りをやった折に、この場所がドカン下という名に変わっていると知りました。
たしかにそれ以前、僕が夜な夜な通っていたころにも、釣り座前面はるか沖に円筒形の構造物は存在していました。それをドカンとだれが呼んだのでしょうか?75年当時の釣り座名は「イケス前」です。
この釣り座に出るには、一旦、洲崎港堤防先端に向かって歩き、その途中を右に下って磯場に下りるわけです。前に一本の溝があり、それを越えると釣り座で、釣りポイントはその釣り座の沖側、左方向から右方向に抜けていく溝のヘチでした。無論、沖正面にはドカン?が見えます。
この溝は干潮時には底がすべて露出する場所です。夕方の干潮時を見計らって到着し、この露出した溝の壁面にイワシのミンチを約5キロほどあらかじめまいておきます。そして、潮が上げてくるのを待ち、上げ5分になったら、残り5キロのミンチを足下にまきながら釣りに入ります。
つまり、この溝は潮が満ちてくるとクロダイやメジナの通り道になっているわけです。
釣り座から左に少し歩くと、磯を掘り抜いたイセエビの旧イケスが2つあります。過去に使用されていたらしいのですが、そのころにはすでに放棄されていました。このイケスが釣り座名の由来です。
綱木さんと取材で竿を出した折にも、このイケスは元の場所にチャンと存在していました。「ドカン下」よりも「イケス前」の方が磯の名らしい思うのですがいかがでしょう。ここでの最大はクロダイ2.1キロ、口太メジナ1.7キロです。
「小湊の大弁・小弁」は磯の間を溝が縦横無尽に走っている釣り場です。小湊港にあるマンションの下が高床式になっており、その下で身仕度を整えて遊歩道を磯へと歩いて行きます。ミンチ10キロが入った白バケツが重かったことを今でも思い出します。
3月ごろのまだ寒い時期にもかかわらず、東屋に着くまでには汗ビッショリ。しかし、干潮で露出した磯にビッシリと生え揃った緑色のノリを目にして「磯はもう春だぜ」と、仲間と清々しい気分を味わったことが昨日のように思い起こされます。
「小弁」へは、東屋の前から入りますが、すぐの小高い所に小鳥居があって、そこに弁天様が祀られています。「大弁」へは、小弁からゴロタ浜を歩いて入磯しますが、その途中に遭難碑かなんかが建っているため、夜にはチト怖い場所でした。
この磯場での最重要課題は、潮位の数値を完全に把握しておくことにありました。干潮時に最先端の磯から竿を出すためには、何本かの溝をジャブジャブと渡って行かなくてはなりません。ということは、帰る際にそれらの溝を渡り直さなくてはならないわけです。
「この溝は、潮位いくつまでに帰って来ないと渡れなくなる」という事態を避けるためには、満潮干潮の潮位数値だけではダメで、干潮から満潮に至るまでの時間、どのように潮位が変化していくのか?つまり、上げてくる際の潮位変化数値が刻々と分からなければ危険が及びます。
まして夜磯で、足元をつねに波が洗っている状況下の釣りゆえ、この潮位の数値変化には敏感にならざるを得ませんでした。ところが、既製の潮時表にはこの干満間の潮位変化に伴う数値は記載されていません。
この欠点を補うべく、1975年に麻布霞町にある不動産会社の社長(エドとは房総の釣り仲間)が開発し商品化したものが「潮位表=タイドグラフ」です。潮位の変化を線でつないだこの表を見れば、「ハハァ、満潮手前の上げ7分の潮位の数値は120センチなんだな」ということが瞬時に理解できます。
当初、売れ行きが芳しくなく辛い思いもしたようですが、現在では、浅場の釣りにはなくてはならない商品となって定着しています。
夕方の最干潮時、小弁先端から竿を出し始め、潮が上げてくるにしたがって徐々に釣り座を後方に下げて、満潮一杯までを釣り切ります。
バカ長(夏は鮎タイツ)で、柄の短い玉網を腰に差し、エサ箱は大工に作らせた特製の首掛け式。予備の仕掛けなどはすべてポケットに収納し、釣った魚を入れるものはパンティストッキング。
このパンストの左右にクロダイとメジナを分けて入れ、端を腰に結び付けて吊るしておきます。魚はヒタヒタと海面に漂っている状態となり、表面が乾くこともなくウロコも剥がれないため、魚拓を取る際にはとても便利でした。
釣り座と海面がほぼ同じ高さとなるため、蛍光玉ウキのボヤーツとした光が日の高さにある……この妙なシチュエーションは、この手の釣り座でしか体験できないでしょう。ここでの釣果は、クロダイ2.4キロ、メジナ2.1キロが最大です。
付けエサには、イワシの片身をニンシ油に漬けたものを使用していましたが、あの臭さが今となっては懐かしい思い出です。
ちなみにエサ代が、ミンチ10キロ800円、イワシ1パック200円の時代の話です。
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